Shuya Okazaki / Blog✔︎

1997年 岡山県 岡山市生まれ___ | I trust my process /Okayama/Niigata/Tokyo&Kamakura✓

その自覚の中でこそ

新潟での4年間

いま、想うこと。

 

プロでもないのに、

サッカーを中心とした生活を送ってきた。

おかげで、いまの恩師や友人がいる。

プロでもないのに、

そんな生活と環境を選ばせてくれたのは、

他でもない、家族だ。

誰よりも感謝している存在。

 

サッカーよりキツいことがないほど、

恵まれた時代、恵まれた環境に生まれた。
その自覚の中でこそ、
その苦しみや孤独は正しいものとなり
その先にある喜びを本物にしてくれる。
その日々が、その日々だけが「糧」になる。

 

「成り上がる」と意気込むにはあまりにも恵まれた場所にいて、恵まれた場所で育った。大学、大学サッカーという環境もまさにそうだった。

それでも、
周りのやつが何かを掴んでいく中で、
正直何も見えない。
ここからまた血の通った自分を生きたいと願うこの気持ちにはその言葉がしっくりくる。

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何も見えなかった / 4月~5月

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いつか時間が解決してくれる。

それを待っていた。

壁にぶち当たった時、

どうしようもなく先が見えない時、

表面的にであれば、たとえそうだとしても、

時間がそれを解決してくれることはよくある。

それが今この時期(とき)ばかりは違った。

言葉にする必要があるのか。それもよく分からない。

言語化とかアウトプットとか

そういうのではなくて、

う◯こ と同じ。つくるというか、出す。  甲本ヒロト

そんな感覚。

周囲に自分という人間が理解されていない、

何も共有できない孤独があるのかもしれない。

そう感じる度にこうやって

いわば「虚構」の世界に逃げているのかもしれない。

いつしか自分にとってSNSやこのブログが

インプットやアウトプットのツールから

そういう存在としての意味を持つようになった気がする。 

それなら俺は今すぐ手を止めるべきだと思う。

本当に「それだけ」のものなら。

本当は分かってる。

「周りに理解」されていないのではなくて、

「自分が表現」できていない。

そしてこれが「表現」だとは思わない。

ピッチとそこにいる人を前にした時の

プレーであったり、言葉であったり、行動、姿。

それこそが 表現 。

ただ、今はせめて何も感じなくなる前に、

虚構で良いから残しておきたい。

いつかその虚構を現実にしたいから。

今ここ(新潟)でのありのままを残しておきたい。

全て置いて前に進みたい。

◆目次

各々(自分の中でしか)繋がってないものを一気にまとめた。

 現状

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「それはお前の理想だろ。言ってることは分かるけど…
  でも、それはやろうと思える理由にはならない。」

簡単に分かってもらった訳ではないだけに

それが行動に繋がらないという現実には

無力さと同時に大切なことを教えられた気がした。

「理想を変える勇気を持て。

   結局他の75人のメンバーが不幸じゃないか。」

俺の役割って何なのか。

最後に分かるもの。本当にそれだけでいいのか。

正直分からない。後から美化するのは簡単。

「それを全部やらせるのがお前(部長)だろ。」

監督の言葉には正直いろんな葛藤がある。

ただもう後に引けない。

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今月 12日 新潟県予選天皇杯決勝 

(vs新潟医療福祉大学 0-3)

4年前(2015年)の高校3年の夏。

練習参加の後、新潟から岡山へ戻る前に

経大の天皇杯の決勝をスタンドで観た。

スタンドの応援組は終始だるそうだった。

チームは1-3で負け。

ここに入ったら根本的に何か変えないと…そう思った。

心から応援し応援されるチームでなければ勝てない。

何より組織として続かないことを知っていたから。

あれから4年。 あの日と同じ天皇杯の決勝のスタンド。

ただあの日とは全てが違う。

自分がこのチームの選手であり部長ということ。

準備、雰囲気、結果。全てが自分ごと。

当事者以外何者でもなく、自分に原因がある。


「俺0-3に賭けてるからこのまま終われ。」

後ろの方からそんな声が聞こえてきた。

ボコボコに殴り殺したいはずなのに、

言葉が出なかった。

目の前で起こっていることも、

その時の自分も、

全部嘘であってほしい。 そう思った。

 

「落差」

何も結果が出せていない。

もうそれだけの話で。

だったらやれよと自分でも思う。

やってる。

そう言いたい。

ただ何一つとして結果がでない。

だからそれをやってないということ。

それも分かってる。

そもそも残してきた結果、

就活でも腐るほど聞かれる

「あなたが成果を出した経験は何ですか?」

そんなものが俺にあるのかも正直分からない。

常に周りや仲間に引き上げてもらってきた。

 

成功と成長はよく語られる話だけど、

その成長の「秤」ってなんだ。

何をもって成長を実感すればいい?

目に見えるカタチがなければただの自己満じゃないか。

小さな成果もなく、評価してくれる人もいなければ、

そういうことじゃないか。

選手としても、チームとしても。人間としても。

 

何か意味があったのか。あるのか。

 

このただ否定の連続の日々に。

リーダーは孤独というけれど、

その孤独ってそんなに正しいのか。

自分自身を含め誰一人幸せに出来ていない。

いろんな面で場違いな人間だということはずっと感じてる。

ただ散々偉そうなことを言ってきた。立場もある。

何よりこの新潟での大学サッカーの道をこのまま終わらせたくない。

だからもう後には引けない。

実際それが一番大きい。

本当はここに一番大きな理由としてあるべきものは別にある。

寝ても覚めても考え続けて、

何が何でも叶えたい何か。

狂気の日々。血の通った時間。それを共有する仲間。

「全国に行きたい」一心で入った高校と

「チームと自らの変化」が目的だった?大学。

そう割り切れば楽だが成長はない。

あの日の決断やその根本が問題なんじゃない。

今、ここにいる自分。実際はそこだけ。

この今の想いを残したところで何になるのか分からない。

俺は今の自分とチームに向き合わなければいけない。

ただ、

理想と現実のあまりの大きなギャップを前に、

これまでの計画は一体なんだっなのか。

そう思わずにはいられないところがある。

このブログやFacebookで書いてきたことも、

"ただこう思いたい自分"

"こう捉えている自分でいたい"

というもので事実じゃない。結果じゃない。

実際の俺は何も変えられず、その事実に正対しきれていない。

ここにあるのはやっぱり虚構の自分かもしれない。

それでも、

その虚構を現実に変えていきたい。

まだそう思えるし、それを信じられる。

この今の現実が結末ではないと。

だから今、「過程」を残してる。

現実を直視しながら理想を持ち続ける。

そういう強さ。

 

「Life is what happens to you ,while you are making other plans.」

-人生とは何かを計画しているときに起こる

それ以外のことをいう。-
                                                星野道夫/写真家

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「こんなはずじゃない」とか思いながら

実はそれこそが自分でそれこそが自分の人生だった。

後になってそう気付くことにはなりたくない。

この言葉を聞いた時にそう思った。

同時にチャンピオンズリーグの準決勝を見ながら

それが高校のサッカー部の恩師のある言葉と重なった。

「サッカーとは

自分たちの関与できない条件と向き合う、

理想と現実の落差に対する心の耐久心を高めるスポーツ。

そしてそれは人生そのものだ。」

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「サッカーとはどういうものか。」

今自分のその価値観に違和感や変化がある中で

これはどちらかと言えば「これまで」のもの。

ただ、

「俺はもっとやれる。」

「俺にとってのサッカーはこんなんじゃない。」

そうやって逃げたり、

割り切ろうとすることに言えるのは、

今の評価であったり、今のチーム、今の現状。

それこそが俺であり俺にとってのサッカーだということ。


嫌なら、変えるしかない。

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「Connecting The Dots」                  

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平成が終わった。

新たな時代が始まった。

時代が変わっても俺もチームも社会も…

身の回りにある現実は

何も変わらない。変わり続けていることを含めて。

時代の名前が変わった。

言ってしまえばそれだけの話。

改元の話題で持ちっきりの世間を少し遠い目で

見ていた人たちも多分そう思っていたんだろう。

ただ確かなことは 大きな節目であること。

この「時代に名前を付ける」というのは美しい文化だと思う。

時間は止まることなく常に流れ続けている。

その時間にあえて区切りをつけて、

時代という枠に収める。

時に「あの時代は…」と振り返れば、

「令和こそは…」と何かを始めたりする。

本当は何も終わっていないし、

何も今始まった訳じゃない。

一度始まった時から全て一直線に繋がってる。

それでもあえて一つの時代を終わらせて、

また新しい時代を始める。

それぞれの日常や生活は何も変わらないのに

「時代」やその「終わりと始まり」に

人がここまで影響を受けるのはそれなりの理由がある思う。

生まれたその瞬間から死ぬまで、

一人ひとりの時間は止まることなく流れ続けていて、

過去に起きたこと今起きていること未来に起こること

それらは全部 繋がっている。

それでも、

 

     その間に幾度となく点が打たれる。

 

猛烈に何かに没頭していた日々がいつの間にか

「あの頃」になっていたり、

それでも描いた夢や理想も

冷たい現実を前に終止符が打たれたりする。

それでも「昨日までの俺じゃない」と

過去に自ら点を打って前に進むこともできる。

ただその一つ一つの繋がりは全くというほど見えない。

見えない時こそ苦しい。

今まさにそうなのかもしれない。

それでも一度始まったその瞬間から終わるまで

全ての点は繋がっている。

打たれた点、自ら打った点、未来に投げた点。

その一つ一つが全て繋がっている。

今は分からなくても。いつか繋がる。

 

「Connecting The Dots」(S.Jobs)

その時、あの日々あの経験があったからと思えれば…

すべての出来事に意味がある。

 

そう思うことでしか太刀打ちできない今。

 

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仕事観 -就活の中で-

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今まさに平成から令和の時代の変化と共に

その在り方は問われつつある中、

俺自身は既存の文化や風習、

ルールやシステムの下の「就活」の真っ最中。

Facebookでも書いたけど、

「就活」とか「自己分析」って何なんだろう。

このいかにもで ありふれた疑問について考えると

根本にあるべきはそれぞれの「仕事観」だと思った。

それはほぼイコールで「仕事とは何か」という問い。

 

「働き甲斐」や「好きなことを仕事に…」

などと叫ばれる今日の日本では

「仕事のために生きている/ Live for Work」

でもなければ、さらに言うと

ただ「生きていくための仕事/ Work for Live」

という意味さえ薄れているように思える。

本当に豊かで恵まれた時代と環境のおかげで

そんな色が強くなっていると思う。

俺自身そんなことを抜かせる状況にあることは有難い。

当たり前じゃない。

ただ、仕事というものの存在が

 

「人生としての仕事/ Work as Life」

 

そんな風に変化しているように思える。

というよりそれが本来あるべき姿なのかもしれない。 

仕事(Work)と人生(Life)のどちらが大切か?

そもそも二つはそんな二者択一の関係のものなのか。

仕事は人生の一部だが人は人生においてその仕

事いうものに圧倒的に多くの時間と熱量を捧ぐ。

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だから俺は仕事と人生を分ける生き方をしたくない。

何年後にこれを読んでも「青いな」と思わない自分でいたい。

 お金や会社ができる前のもっとシンプルな世界では、

一人ひとりが生む価値が自然と共有されて

社会としてもバランスが保たれていたんだろう。

それは例えば、

狩りする人、家を建てる人、モノや情報を届ける人…

色んな場所や色んな人たちの間で

「ありがとう。じゃあ今度俺が…」

みたいなことが繰り返されていたんじゃないかと思う。

さらには、

何歳までは教育を受けて、その後は働いて、後は余生。

そんな年齢や世代の枠もなくて、

全ての世代の人が全ての世代の人を支え合って生きていたはず。

− 巣立った後にしばらくしてまた面倒みてもらう動物はいない。人間は動物です。−Yong supporting All ではなく、All supporting Allが本来の人間のあるべき姿ではないか− APU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明

若い時に勉強してその後働いて老後の人たちを支えて…

今、このサイクルに反して

人生100年時代」や「リカレント教育」が叫ばれ、

人生の在り方が問い直されているこれらの議論は

全く新しい場所に向かっている訳ではないと思う。

(ヘーゲル弁証法「事物の螺旋的発展の法則」)

今日の日本は高齢化が悩みになるほど健康。

そして世界3位の経済水準にある。

それだけ身体や環境やモノが豊かでも、

幸福度は今年は世界で58位。何年後退している。

「働く」ということや「仕事」についてはどうか。

昔と比べれば圧倒的に選べる自由があるのに、

15年以上3人に1人が就職後3年以内に辞めている。

転職や独立へのマイナスイメージや

その事実をそのものを否定する意味は全くない。

(なんなら自分も通りそうな道だし。)

ただ未だに理由の多くがネガティブなものなのも事実。

昔と今で大きく違うのは

一人ひとりに「情報と選択肢」が大量にあること。

そこには「自由」と「責任」が背中合わせで存在する。

そして今、

多くの人が自由を感じず、責任から逃げていると思う。

先の例で挙げた昔の人たちには

自分の職業を選択する「自由」がなかった。

その反面「自分で選んだんだから…」という

「責任」もなかったと思う。

それが幸か不幸かは分からない。

それこそが肝心なところなんだけど…自分次第だろと。

「society5.0」や「5G」や「AI時代」…

さらに飛躍的にモノや環境が豊かに進化すると言われている。

自分の興味のある分野においては、

「人と企業」「人と人」「人と場所」のマッチングも、

AIやビッグデータの活用によって

より正確な適性が成されていくはず。

ただ、断言できるのは

それだけでは人は満足しないし、幸せは増えない。

「この会社だ!」「この人だ!」「この店だ!」

とはならないと思う。

理由は、

今だって昔と比べればモノや環境は飛躍的に豊かになった。

職も企業も人も場所も圧倒的に選択肢が増えて世界に広がった。繋がった。

それでも人が感じる幸せや喜びであったり、

働き甲斐は増えていないから。

事実が変わっても実感が変わってない。

 

俺の仕事は何か

何が言いたいかというと

「就活」や「社会」に身を置く中で感じたのは

どれだけ環境そのものやマッチングが変わっても

一人ひとりが「あるもの」を持っていないと何も変わらないこと。

それは「昔の時代を思ってもう少し幸せのハードルを下げよう」そういうものじゃない…

それはいつどこにいても変わらない

「自分の仕事」

そしてそれを明確にすること。

どの職業とかどの企業とかそういう次元じゃないもの。

職業や立場が変わっても「自分の仕事」は変わらない。

それを「夢」とか「使命」とか「志」と呼ぶのかもしれない。

職業や会社が変わっても変わらない自分の仕事。

今みたいな学生であっても、

老後になっても変わらず向き合っていたいもの。

それは何かということ。

有名な人を例に挙げるまでもなく、

俺が思うカッコいい大人は「自分の仕事」をそんな風に語る。

職業としては語らない。それはそれで「プロ」として語る。

これが定まらない以上、

どこの会社に入っても、いくら職を変えても、

大学院に進学しても、起業しても

深いところでこれだ!という実感は持てないと思う。

就職も転職も起業もまだしてないから

まだ自分の中の仮説に過ぎない。

別に途中で変わっても良いと思う。

どうせ後からそれぞれの意味は繋がる。

ただ今この瞬間、

身の回りや家庭や街や社会に対して、

もっとこうあれば良いのにって思うワクワクでもいい。

これだけは放っておけない、そんな使命感でもいい。

そのために自分に出来ること。

出来る自分になるためにやりたいこと。

逆にそれさえ定まれば、

どこに就職するにしても起業するにしても、

それらは全て手段だとうことに気付く。

企業や人を選んで全く別のことを語ることもしなくていい。

自分にはいつどこにいても変わらないもの。

「自分の仕事」人生かけて登りたい山があって

それを 御社「なら」 こんな風に実現できて、

これまでの経験やこれからの経験は

全てそこに繋がっていることを伝えればいい。

それが他の場所なら切り口や登り方が違うだけで

目的は同じだということ。

会社や人よってそれぞれに上手く語ること、

スキルとしては必要でも、俺はそれ以上に

「同じ夢(目的)を使い回す」

その方がよっぽど大切で筋が通ってると思う。

 

「じゃあお前の仕事は何なのか」

そう突っ込んでくれる人がいたらこう答える。

「次世代のために今やるべきことをすること」

それは学芸の頃も、今も、この先も変わらない。

常に今いる場所は

「先人に受け継いだのではなく、

                             次世代から借りている」

その上でやるべきことを定め、行動すること。

そのために学び続けること。

「子どもたちに夢を!」

俺もこの山を登りたい。

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答えとして

結論そういった意味では

「就活」も「自己分析」も

「そういう時期だから−」やるようなものじゃない。

もっと広くて大きいもの。

「自分の仕事」「自分は何者か」

そういう自分への不変的な問いだと思う。

何も常にすべての物事を人生という枠で捉えて

松岡修造スタイルで生きるべきだと言うつもりはない。

シンプルに相当疲れると思う。

(かくいう俺がそういうタイプだから分かる。笑)

ただ…

これは自戒の念を込めてだけど

世の組織もそれぞれのキャリア選択も

あまりにもその場しのぎの決断が多いと思う。

楽なのと楽しいのは違う。

今がいいのと今さえよければいいのも違う。

過去に決断によってつくられたのが今で、

今の決断によってつくられるのが未来だから、

常に決断は過去 現在 未来で捉えて行うべき。

その上で「今」にとことん没頭できれば最高だと思う。

Carpe diem 「今を生きろ」

というのはそういうことだと思う。

 

今回ばかりはもう少しロジカルにまとめたかったけど

結局は熱い話に還ってくる。そこで落ち着く。

でもその''結局''に至るまでの過程が大切。

それがこのブログの意味でもある。

この頭と親指の疲れの意味。

何より、

この結論こそが自分を猛烈にモチベートしてくれる。

それでいい。それがいい。

 

最後に −逆境に感謝−

こんな真っ暗な時に、だからこそ、

支えになってくれた存在へ。

ありがとう。

当人はそんなつもりじゃないんだろうけど、

何気なく話たり、たまたま連絡をくれただけだとしても

それが光だった。

もはや それに気付かせてくれた暗闇にも感謝。

昨日はその一人の22歳の誕生日。

自分で言うのも違うけど

 こんなにも俺が俺と向き合っても

いつも俺より俺のことを知ってる、

こんな長いの最後まで読んでくれるお前だよ。

改めておめでとう。最高の一年を。

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                                                                           2019.5.20

「失った」のなら… / 3月

 

何度もそう叫んできた。

 

そこには何の疑いもなかった。

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◆目次

 「失う」とは

「失ったら 取り返せ!」

 

ボール を取られたままでは何もできず、

点 を取られたままでは負けるのがサッカー。

失ったら、取り返すこと

自分が人生で最も多くの

時間と情熱を捧げられてきたもの。

そこで真実と言い切れるものは、

少なくとも自分にとっては

そこだけに留まらないもののはず。

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失うとは何なのか

例えば…

小中学校が同じで9年間 毎日 側にいても、

ほとんど話したことがないような関係だった人。

その人と話せないことや会えないことに対して

「失った」とは感じない。

一方、

それと比べたらもっと短い時間しか一緒にいなくても、

多くの思い出のある人がいたとする。

その人と話せないことや会えないことに対しては

「失った」と感じる。

どちらも 過去にあって、今はないもの。

確かにどちらも失っている。

それなのになぜか

一方は失っておらず、一方は失っている。

「失った」かどうかを決めるのは

それが今、あるか、ないか ではなく、

それを今、感じるか、感じないかで、

「失う」とはその対象が何だとしても、

極めて主観的なものなんだと思う。

時の流れの中で無くなったものの中でも、

それすら気付かないものもあれば、 

自ら捨てたものもある。

「お前変わったな。」

よくそう言われる。

だけどそこに一喜一憂することはない。

(…ように努めている。)

「変化」に対する客観的な声よりも

「失った」という主観的な感覚、

そしてそれがなぜなのか?という自らへの問い。

そっちの方が大切なのではないか。

変化の中で「失った」と感じるものがある。

よく言われる

自分らしさ、このチームらしさ、日本人らしさ etc

そんな「らしさ−」や「個性」は

自分だけの世界で追求するものではなくて、

色んな変化や新しい経験や繋がりの中で、

"残るもの"なのではないか。

これはドイツや中国で…

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(ベルリンの壁)

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(中国・蘇州の駅)

 

「−外国人になる経験−」   (イチロー)

 

その中で特に強く感じたし、

岡山から誰も知らない新潟に出た時もそうだった。

 

▫︎「失う」とは…

元々あったものがなくなること。

それは物質的な事実ではなく主観的な感覚であり、

自分が何を「失う」かは何を大切にしているかということ。

 

失ったり、失いたくなかったりする過程で自分が何者かを知ることがある。

 

その時

「失った」その時、俺たちはどうすべきか。

これは先の定義があった上で答えはシンプル。

 

「取り返すべき」

 

 サッカーにおいて「失う」瞬間。

ボール を取られた…

点 を取られた…

ここでも過去にあって今はないという意味では

失ったものは他にもあるはず。

それでも「失った」ものは取り返さなければならない。

ただそこで、

全く同じものはもう取り返せない時がある。

仲間 が退場になった…

その試合で逃した勝ち点 …

それでも前に進むためには、勝つためには、

「失った」以上、たとえ全く同じものは返らなくても、

その分を取り返す必要がある。

いや、そもそも

「失った」ものと全く同じものなど取り返せる時などない。

ハーフラインで失ったボールを

自陣のペナルティ付近で取り返しても

それは全く同じ状況を取り返した訳ではないし

0−2 の状況から2点取り返して 2-2 にしても

0-0 と同じとは言えない。

むしろペナルティまでダッシュで戻る中で、

2点取り返すためにギアを上げた中で、

当然、精神も身体も疲労する。

つまり失ったもの取り返すために失うものもある

 

取り返すことで失うものより「失った」もの。

それが大切と思えるか。

取り返すためには先ず猛烈に「失う」必要がある。

「失った」と感じるからこそ、

その想いが強ければ強いほど取り返したい。

その根底には、

それ自体がそもそもどれだけ

自分にとって大切なものだったのかがある。

「失う」時というのはある意味試される瞬間であって、

その選手その人の本質が垣間見える瞬間ではないか。

失っても取り返さない、そこにトライしない、

平然とすらしている…

それによって「失う」ものがある。

周りからの信頼か、時として自分そのものか。

むしろ失うことより、

ボールを失っても点を取られても平気な姿や、

よく見かける大人の

「あの頃の自分なら…。」 「丸くなった。」

と今に純粋な熱を持ちきれないこと。

そういう執着のなさやその姿によって

人はより大きなものを失っている。

 

振り絞った…

「失う」とは主観的な感覚であって、

自分にとって大切なものしか「失う」ことはない。

丸くなった ことも

それが自分にとって必要な「変化」で、

堂々と「これは成長だ」と言えるならそれで良い。

でももし

あの頃の自分 を「失った」と感じているのなら

それは取り返すべきだ。

「失った」ものと向き合うことは

同時に「得たい」ものと向き合うこと。

常に自分の中の天秤にその二つが乗っていて、

光と陰のように表裏一体のバランスをとってる。

逆のことも言える。

何かを「得る」時には、

同時にそれを失う怖さも手にしている。

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これまでの言葉は全て…

ワンピースで最愛の兄を失い絶望するルフィーが

「失ったものばかり数えるな!無いものはない‼︎
確認せい!お前にまだ残っておるものは何じゃ‼︎」

とジンベエに投げかけられ、

涙ながら震える手で一人一人指で数えてこう叫ぶ。

「仲間が…仲間がいるよ…‼︎」

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「何で自分がこんな目に…」

「こんな時にアイツがいれば…」

「この環境じゃ無理だ…」

そんな時にいつも大切なことを教えてくれるシーン。

無いものや失ったものをいくら数えても、

何も変えられず、何もカタチにできないまま、

時間だけが流れて、終わる。

大学生活、大学サッカーの残りの8ヶ月も、

その先もずっと。

今ここ(新潟)に何があるのか、何ができるのか。

それこそが大切なのは分かってる。

だからずっと、

過去にあるものを懐かしく、無いものを恋しく

思う自分を否定してきた。

ただ、

それでも取り返したい。失ったものがある。

「あの頃の自分なら…」と。

「本当はこうじゃない…」と。

これまでの言葉は全て、

現状の自分のことであって、

これまでの言葉は全て、

失ったもの、今ここに無いものに、

執着する自分を認めるためのもの。

 

 サッカー」

俺にとってサッカーは

1本のセーブや仲間のゴールへの喜び、

緩いプレーをした仲間や不当な判定への怒り、

チームとそこに関わる全て人で共有する緊張や高揚。

練習も試合も関係なく、

プレーする時も、観る時も、

そこで感じるものを表現できるもの。

そしてそれこそが、

いつだって非日常なものであるべきサッカーを

サッカーたらしめるもの。

その1つ1つに対して一喜一憂しないのは

そこで感じる感情を表現しないのは

きっと大人になったからではない。

もしも

「サッカーは子ども大人にし、

                    大人を紳士にするスポーツ。」

という言葉がそんな意味のものなら俺は否定したい。

天か地かを分ける一瞬一瞬を、

仲間と相手と審判と観客と分かち合い、

その中で知る 振る舞いというものがある。

そうことではないのか。

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https://youtu.be/BBtfGncukZc

天か地かの運命を乗せること。勝つことへの執着と

その過程で感じる感情の表現と共有。

それができないなら、それを否定するなら。

それを抑えなければいけないなら、

それを心から分かち合えないなら、

それは「サッカー」ではない。

チームとして勝つ為には 

「俺にとっては−」のものではいけない。

自分たちはどういうチームになるか、

自分たちはどういうサッカーをするのか、

その前に、サッカーとは何か。チームとは何か。

それを共有しなければいけない。

  

感じることを表現できなくなっていた。

それがサッカーという 非日常 に

留まらないものだと気付いた時、

俺は猛烈に 失った。

 

サッカーがしたい。

 

「失った」のなら…

 

取り返さなければいけない。

 

 

4月へ

最後のシーズンが開幕し、

新たな環境を掴むための篩にもかかるこの月。

吉田松陰曰く、人にも四季があるらしい。

ラソン高橋尚子の恩師はこう言った。

「何も咲かない寒い日は、

下へ下へと根を伸ばせ。

やがて大きな花が咲く。」

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何も咲かない寒い日がひたすら続く中で、

ただ下に下に伸びるだけでは意味がない。

まさにこのブログと同じ。

 

結局、勝たなければいけない。

 

何度ピッチに立てて、何個タイトルを残せたか。 

 

その先にしか残らない。

 

大学サッカーの価値。組織のマネジメント。

それを社会につないでいくこと。

全部大切だけど、

先ず、「サッカー」をしよう。

サッカーをする「チーム」で在ろう。 

 

「つなぐ」ために。

                                                            2019.3.31

 

 

 

〈3月の学び〉

「一月往ぬる二月逃げる三月去る」

と言うけど何だかんだあっという間の3ヶ月。
中でも学び得るものが本当に多かった3月。

(本来こっちを残すためのブログのはずが…笑)

大学スポーツ↔︎ビジネスや教育との繋がり。

残り8年の20代の使い方。

就活を軸にそこと向き合う時間が多かった。

3/2 芦名勇舗さん

3/9 福山敦士さん

3/10 ソーシャルビジネスグランプリFacebook

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3/22 

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「− 秤は自分の中にある。」

3/25 Criacao Athlete College 

3/26 人生初のブラインドサッカー

 

何としても、血の通った時間を取り戻したい。

振り返れば改めて本当に有難い機会に恵まれて。

感謝、忘れずに。

血は通っているか / 2月

 

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◆目次

立ち上げミーティング / 4年生合宿

ビジョンを掲げ、理念を定義を共有する。

チームに対して今後の指針を示す立ち上げミーティングを行った。

「組織の目的」「軸となる理念」

それをどうしても新入生が合流する前に

チーム全員で共有したかった。

 

理由

理由は3年前にある。

3年前に入部してきた時、

部のルールを説明を受けるために

1年生が集められた。そこで当時の4年生に聞いた。

「チームの目的とか目標って何でしょう。」

正直答えは分かっていた。明確にはないと。

入部から1ヶ月以上が経っていたその時

何も知らないこと。

誰の口からも聞かないこと。

それが根拠だった。

案の定、

何だコイツという顔で4年生同士顔を見合わせた。

そして、

「…何だろうな。

まぁ勝てれば。てか目的って何だよ(笑)」

俺は知ってた。

高校3年の夏に新潟に来るのを決めたあの日にも。

何のために存在しているのか分からない組織。

その下で活動することの苦しさを。

 

では、何でその場所を選んだのか。

 

 あるべき姿

幸い俺は「変化」が嫌いじゃない人間だ。

というより、

変化そのものがいくら困難でも

その現状のままでいることの方が苦しい。

本来あるべき姿 カタチではない状態下に耐えられない。

結局苦しいことから逃げたいという動機が

自分の中にある。

それ自体は弱さかもしれない。

ただその現状や環境に対して、

不平不満もしくは我慢ではなく、

自らと組織の「変化」をもって向き合うこと、

挑むこと。

それは強さだろう

俺は強くなりたかった。成長したかった。

だからここに来た。

 

違和感

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講義室に集まったのは48名の新2〜4年生 部員。

そこに監督やスタッフはいなかった。

資料を全員に配って皆んなの前に立った。

言語化よりも伝えること"

これが1月に出た課題だった。

新たに掲げたビジョンと理念の定義。

その背景にあるもの。

それを共有するために、

言葉を選び、構成を組み、例を挙げながら

順に説明していった。

何か違った。

こんなんじゃない。

俺がするべきだったのは説明だったのか…

その日の講義室の空気は

退屈な講義のそれと何ら変わらなかった…

放つ弾が全て外れていくような感覚だった。

 

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                                          @群馬 昭和村 「4年生合宿」

同期16人で行った合宿。

最後のシーズンを前に、

仲間との結束を高めることを目的に行われる。

ここでも皆んなの前に立つタイミングがあったが

同じだった。

 

「あの頃」

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                                                                 2015年夏

ある意味、常に現状をあ否定するものだった。

その度に孤独になることも分かっていた。

それでも、

自分と皆んなと間にある

否定、疑心、共感、高揚…

それら全てが「本気」のもとにあった時間には

まじまじと血が通っていた。

その瞬間が好きだった。

 

 出来事の意味も、それぞれ 生きる意味も、

自分で決められる。

さらにその上で結果が出れば、

それが真実として捉えられる。

 

 編集された過去

今はあえて逆のことを言いたい。

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                                                   為末大

過去を肯定できなければ自分を肯定できない。

誰しも自らの存在が必要とされていると感じたい。

自分には価値があると確信しながら何かしたい。

その上で

自分の過去が記憶の中で美化されていくのは

必然なのかもしれない。

俺が今、過去にある「あの感覚」を追い、

それを求めるように何かを選択する。

過去を生きるとはまさにこのことだろう。

「あの時はー」そう感じる度に過去の何かを探してる。

 

だけどそれは"編集済み"の過去であって、

"真実は別にある"のかもしれない。

 

未来志向の意味付けは大切だ。

だけど実はそれと同じかそれ以上に、

 

正確に現実(過去)を捉える必要がある。

 

 あまりにも

気は向かなかったが

実際に講義室での自分の話の録音を聞いた。

「無駄な間」が多く、抑揚がない。

力を込めて発したはずの言葉も意外と込もってない。

でも今直面してることの本質は

スピーチ力ではない。スキルではない。

俺の話とその言葉の一つ一つはあまりにも

 

残らないものだった。

 

それがなぜだったのか。

「言葉に体温と体重がのるのは、

心の底からそれを伝えたいと思った時。」

                                             小泉進次郎

今、

俺が本当に伝えたいこと。

心の底から信じているもの。

それをなぜ伝えたいのか。

 

血の通った時間なんて

 

今を捉えない限り永遠に取り戻せない。

 

 唯一変えられるもの

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                                               @福島県いわき市 

人は変えられない。

結局、組織も変えられない。

変えられるのはいつだって自分。

今、心の底から信じられる未来、

そのために何としても伝えたいことって

正直、何なんだろう。

それが何だったとしても、もう後には引けない。

 

3月へ

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振り返れば、また有難い1ヶ月だった。

3月。

いよいよ最後のシーズンへ入っていく。

同時に新たな環境のために。

春はどこにも待ってない。 

自ら掴みに。

始め続けるために / 1月

 2019

こんな格言がある。

「人は1年でできることを過大評価し、

       10年でできることを過小評価する。」

                                

2019年が始まった。

この1年を

部長として、「俺らの代は…」

選手として、「集大成の1年…」

就職を前にして、「ここで将来が…」

こんな風に捉えたくはない。

そしてこの先もずっと

目の前の現実を、

そんな短期または単年度の思考で捉えたくはない。

それよりも今から「10年先」

その時 このチームはどうなっているか。

ゴールを背にボール追った日々の最後はどう見えるか。

俺はどこで何をしてる自分になれているのか?

それを創っているのが他でもない、

この1年であり、この瞬間。

そんな風にこの先の1つ1つの課題に向き合っていきたい。

 

 ◆目次

 Carpe diem

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2018年 (21歳)

残念なことに今日という日は1年前の想像の範囲内だ。

それはこの1年の中にまだまだ無限に成長の余地があった中で、突き抜け切れなかった自分の弱さ。

それでも本当に有難い経験を沢山積ませてもらった。

でも多分1年で変わるものなんて知れてる。

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2009年 (11歳)

今日という日を10年前には想像出来なかった

想像を越えられなかった…の方が正しい。

その時の想像では俺はプロになってたはずだ。

それでもその中に語り切れない程の経験と時間が詰まってる。

その全てが本当に有難いものだったと思う。

10年あれば とんでもないところ にいける。

いや、次こそは。

そのとんでもないところを創っているのは他でもない。この1年であり、今この瞬間。

だから俺はラテン語のこの言葉が好きだ。

Carpe diem 「今日を捉えろ」

 スピード感

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その時の直感的に今の自分に必要だと感じたもの。

「スピード感」

決断、判断、行動、返答、プレー…

歩くスピードにまでこだわる。

全ての速さと早さを変えていく。

決して落ち着きのない人間になりたい訳ではない。

これまで「スピード」と「質」は

どっちをとるか? と考えてきたが、

その両方を取りにいった時に工夫が生まれる。

例えば

質が悪くて速いパスは誰でも蹴れる。

質が良くて遅いパスも誰でも蹴れる。

それよりも、

質が良くて速いパス。そしてそれを蹴るための工夫。

必然的に「量」が詰まってくる。

そこに成長がある気がする。

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同じ質量でも密度が濃いものが重いように、

同じ時間でも密度が濃いものに価値がある。

そう思った。

時間の密度を変えていく。

時間における密度は煮詰めれば「スピード」

10年の時間を意識した時、

今の自分に必要なテーマだと確信してる。

10年を考えた時に出た答えが

「スピード感」

やっぱりあらゆる事は逆説の中にあると思う。

 

真実

これ自体、俺1人のただの戯れ言と言われても

誰も否定できないことがある。

 

人は必ず死ぬ。

 そしていつ死ぬか分からない。

 未来(生き方)は選べる。

 

何を描こうと10年後がある保証はない。

それでも今日を輝かすために描き続ける。


毎月を振り返る

自由な時間が与えられた中で

大きな意思決定の多い年でもある。

その時間という資産を何に使って、

何を学んだのか。どう成長したのか。

シーズンの終わりや年末に振り返りをしてきたものを

1ヶ月単位で区切っていくことで

過程をオープンに刻んでいく。

1年後には大きな財産になってるはず。

今年だけを考えれば欲しいのは結果。

ただもっと長い目で今を振り返った時

この過程にこそ価値があるはずだから。

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「1月」

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2019年

今年はここ新潟で過ごす最後の1年。

同時に18年目にして、

 

常に生活の中心はサッカー!

 

そんな日々との別れの年となる。

その名残惜しさのせいか。

単なる慣れなのか。

連日降り積もる雪も、

地味な走りもそれほど苦ではない。

 

「それ」を意識し出した途端

 終わり。

 

それを意識し出した途端、

目の前の現実がやたらと意味を持ち出す。

だったら最初から…と思いながら旅に出た。

−「原体験」には敵わないのか−

http://shuya-31.hatenablog.jp/entry/2019/01/15/135106

それなのに新潟に戻って1日のスケジュールが

「オフ」 「TR 16:30~」

という日が約2週間。

新チームの立ち上げに際する

ミーティングを重ね、

その度に準備や情報収集などを行い、

前に進められたことも確かにあった。

だけどそれよりも、

もっと成長出来た。もっとやれる事はあった。

その感覚の方が圧倒的に大きい。

後にも先にもこれほど時間という資産を

贅沢に使える年はない。

 

怠惰というもの

「私は年をとるにつれて、

幸福の反対を不幸だとは思わなくなった。

幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。」

                            文芸評論家 : 亀井勝一郎

先週、

昨年末からの選考を経て、

25日に最終面接を受けた会社から

不採用のメールをもらった。

これは確かに失敗であり不幸な出来事ではある。

ただそこには学びがあった。

「採らなかったの後悔させるくらい成長しよ。」

そんなモチベーションにすらなってる。

失敗や不幸な出来事は後付けでプラスにできる。

ただ、

昼まで寝て、飯食って、練習して、寝る。

だけ。

そんなまさに"怠惰"に過ごした時間や生活は

どんな後付けも出来ない。

これこそが本当の意味で成長や成功から

最も遠いものだと改めて感じた。

この1年。

いやこの先 何度でも立ち還るべき言葉。


☑︎ 「成功の反対は怠惰」

・もっと細かいスパンで計画立てる。

×              午前           午後                夜

⚪︎ 7時~9時~12時~15時~18時~21時~0時

 

言語化という罠 

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「言葉」は思考するために作られ、

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やがてコミュニケーションにも使われ、

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文字に起こして記録にも使われるようになった。

…らしい。

「言葉」の起源の話がしたい訳ではない。(できない) 

またこれも単なる一説に過ぎない。

ここで言いたいのは、

考えること。話すこと。書くこと。

これらが全て繋がってるということ。

誰かと話したり、

こうして想いを文字に起こすことで、

自分が考えていることが整理されていく。

頭がクリエイティブに働く。

俺はこれをいわゆる言語化だと定義してる。

 

 目的はどこか

例えば、

就活において、

−自分が過去、現在、未来をどう捉えているか。

その理由。

それぞれがどう繋がってるのか−

チームとして

−理念の定義や達成までのプロセス−

これらを言語化することはとても大切だけど

それ自体が目的じゃないということ

あくまで、

就活なら、

✔︎自分という人間を理解してもらうこと。

チームとしては、

✔︎理念や取り組みの先にあるビジョンや目標が達成されること。

それが本当の目的

はじめの定義に戻れば、

言葉はツールとして生まれたもの。

どんなに綺麗に頭の中の言葉の並びを整理して

それを口にしても、

伝わらなければ意味がない。

パスの例を繰り返すと、

どんなに磨きのかかった質のパスでも

繋がらなければ意味がない。

そしてパスもゴールを目的とした手段であるように、

伝えることも何かをカタチにするための手段。

 

そして言葉で伝えることは表現の一部に過ぎない。

行動であったり、姿であったりも、

深く見つめていく必要がある。

 

☑︎言語化よりも伝えることを意識

☑︎「カタチにしたい何か」を皆んなと共有する。

☑︎まじの方のパスの質、スピードを上げる。

 

2月へ

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家族と過ごせた正月。

中国への旅に始まり、

新潟に戻り、

仲間たちと共に最後のシーズンに向けて歩き出せた。

怪我や病気もなく過ごせた有難い1ヶ月だった。 

しっかり噛み締めて2月も駆け抜けよう。

「原体験」には敵わないのか

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 なぜ中国へ

2019年1月7日〜10日 年末年始のOFF期間、

母校の選手権の応援で東京に行ったり、実家で落ち着いて過ごしていた。

そんな中、岡山で家族と新年を迎えて早々に中国を1人で旅した。

海外は2017年のドイツ以来。

「Days in 🇩🇪」

https://www.facebook.com/100004888117401/posts/769635403209390/

2017年8月−10月

このドイツの経験を経ても尚、

さらに地元で家族や友人と過ごせる数少ない時に、

 

中国に行ったのはなぜだったのか。

 

 ◆目次

 むしろ出発前は…

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7日の朝。

昨年10月に取った中国 浦東国際空港へ往復チケットを片手に岡山空港へ。

そう。

中国行きを決めたのは3ヶ月前の俺。

むしろ出発前の俺は行きたくなかった。

でも自分の中で、

今日行きたくない理由より、

3ヶ月前に「とりあえず行こ!」と決めた理由の方が正しい。

俺自身の成長に繋がると感じたことは確かだった。

到着…

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@中国 浦東国際空港

現地では基本的にネットはホテルか空港でしかWi-Fiが使えない。

(※ポケットWi-Fiを持参した場合は別として)

空港までホテルまでタクシーを使わず歩くことにした。

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ダウンロードした地図を見ながらひたすら歩くも…


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しばらく歩くと人が通れる道じゃなかったりで

何度も行ったり来たり。

野良犬もウロウロしてる中。
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ひたすら歩き続けた。

 

無用に命を危険に晒す人間の言う

"スリル"

なんて考えは一切理解できないし軽蔑してる。

なのに。

何をやってるのか…

memento mori

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やっとの想いで、

自業自得のやっとの想いでホテルに到着。

フロントのおじさんは本当に暖かく出迎えてくれた。

家族にも連絡が取れた。

風呂に入れて、水が飲めて、ベッドで寝れた。

それが有難かった。

メメント モリ」 : memento mori ラテン語

−死を忘れるな。死を想え。− 

それは間違いなく一瞬でも本気で、

死ぬことを想う瞬間があったからだと思う。

 その時、

家族や身の回りの人であったり、

日々の生活であったり、

叶えられていないままの夢であったり、

その全てが心から愛おしく想えた。有難く想えた。

それこそが一つの目的だった。

 

でもそれは弱さであり、

それは未だに

 

−実際に難が無いと想えない自分である

ということだから。

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矛盾

自分の中で葛藤してる矛盾がここにある。

 

中国に行って変わる自分じゃダメで、

 

大切なものを失ってからでは遅くて、

 

死んだらそこで終わりということ。

 

新潟でも、ドイツでも、

色んなところで経験してるはずなのに、

中国でまたハッとさせられてる自分。

 

「原体験には敵わない。」

これが一つの仮説。

「全ては意識次第」

それでもそう信じたい。

 二日目

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二日目は地下鉄を使って市内に出た。

中国 上海では地下鉄は日本と同じくらい発展してる。本数も多い。

ただテロ対策としてどこの駅でも荷物のX線検査を受けることになっている。

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電動バイクが沢山走ってる。

基本的にギリギリまで交わしてくれない。

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岡部恭英さんと昨年9月にお会いした時に言われた

「中国の勢いは一度生で見ておいた方が良い。」

特に上海ではその訳を幾度となく感じた。

物理的には東京かそれ以上に発展してると感じた。

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3日目は隣町の蘇州へ。

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新幹線は日本の新幹線とほぼ同じで

早くて静かで快適だった。

40分ほどの場所でも約49元(688円)。

(1元=15円

ホテルは朝食込みで約172元(2,700円)の場所を抑えた。

そこに+航空券。)

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(特に市内では現金を使う人は少ない。基本Alipay)

蘇州市 山糖街を歩いた。

水路の街として異国情緒溢れる街。

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翌日には帰国するため浦東国際空港近くのホテルへ向かう。

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基本的にコミュニケーションはお互い中国語で挨拶して後は拙い英語と文字とジェスチャー

 のはずが初日のホテルのフロントのおじちゃんとのめちゃくちゃ暖かい会話の記憶がかなり鮮明に残ってるから

言葉って何なのか、コミュニケーションって何なのか考えさせられる。

「目を養え」

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蘇州火車駅発上海行きのホームへ。

中国はいちいち広くて、ここでも迷った。

中国語が通じないと分かった受付のカウンターのおばちゃんは俺を「No!」と手で払った。

でも、

その後同い年ぐらいの青年に聞くと、

彼は戸惑いながらも携帯片手に親切に場所や時間、遅れの状況まで細かく教えてくれた。

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国民性や県民性というものは間違いなくある。

中国人に対して"自己中心的"だと感じる場面は多々あった。

でもそれはあくまで客観的な視点。

本当に中心にいるとその概念すら無い。

それが当たり前で普通。

だけど"自己"の指す領域は人それぞれ。

自分1人を指す人もいれば、

家族の人も、街や国かもしれない、

あの駅の青年のように日本のパスポート片手に道を尋ねてきたやつ

のことでさえ己のこととして捉える人だっていた。

 

結局、目の前の人と向き合った時、

〇〇人とか〇〇社の人とか、

国籍とか所属とか地位じゃない。

周りのいうその人への評判も関係ない。

もっと言えば

その人自身の語る言葉も関係ない。

その人の行動だけをみることが大切なんだと…

「そいつに対する周りの評判は聞くな。

そして、そいつの言うことも聞くな。

そいつの行動だけをみてお前が決めろ。

目を養え。」

「行動こそ真実」

恩師の言葉の意味をまた違った角度から知れた気がする。

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「私たちは中国。」と書いてある。

タフでなければ生きられないが…

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新幹線の改札口の様子。

 

あまり並ぶという習慣はない。

車内でも店内でも大声で電話してる。

基本的に人の目を気にすることがない。

一度ホームで抜かされまくった挙句おじさんにフィジられて危うく乗り損ねそうになった時、

ガチでフィジり返して電車に乗り込んだ。

おじさんはこっちを見向きもしない。

それぞれ電車に乗れた。

中国ではそれだけだけの話だった。

日本ではそんなことは恥ずかしくて出来ない。

我先に…我こそは…遠慮なく…

そんな姿は"美しさ"が許さない。

 

 時にその場所でサバイブするためにハングリーさが求められる時がある。

それは今回みたいに国を跨がずしても、

日常のあらゆるところ場面でそれは起こる。

 

だけど、その時同時に出会うものがある。

 

「これ失ったらもう俺じゃないな。」って部分。

 

「タフでなければ生きられない。

        優しくなければ生きる資格がない。」

これはアメリカの作家の言葉。

 

本当はおじさんフィジることがタフさじゃないはず。

−どんな状況でも自分として生き抜くこと−

それこそがこの言葉の本質のはず。

だからまだまだなんだ。

 

サバイブとかハングリーとか言ってる俺は。

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 自分は何者か

別に中国に 自分 はいない。

 

どこを旅してもそこにはいない。

 

もし、どこかにいたところで意味がない。

 

今、ここにいるのが自分で、

新潟での自分こそが今の挑戦のことに変わりはない。

 

その中で視野を広げるということは

 

新しい発見や学びを得るため以上に、

 

現状の中にある有難みや惰性、

 

本当に大切にしたいものは何か。

 

それを知るための手段なんだと思う。

 

自分が何者かを知るめの…

 

帰国

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翌日無事に岡山に帰った。

勝手に1人で行って勝手に1人で帰ってきただけ。

それでも行って、帰ってこれたこととその間にある全ての経験はやっぱり有難いことだった。

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@岡山

−帰国した次の日に地元の幼馴染と−

最高の時間だった。

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 目的

今回の旅に目的地はなかった。

 

でも目的があった。

 

目的。

 

それが何か上手く言葉に出来なくてもいい。

 

先に動いてしまえばいい。

 

心が決めることは言葉にできないようになってる。

らしい。

 

「何しに行くの?」

 

「何目指してるの?」

 

出発前そう言われた時はっきり答えられなかった。

「バイタリティと感謝のスイッチを半強制的に押しに行く!」とか答えてた。

 

◾︎すぐに忘れるかも知れない…

それでも沢山大変なことがあった分、

前より目の前の有難みを感じられる。

でも難があったから感じるのでは浅い。

意識して挑戦して意識しての繰り返し、

そんな有難い人生に。

 

◾︎相手の土俵やルーツに立って見れば…

その人と自分が"違う"ということは素直に受け入れられる。まずそっち側に立ってみる。今回のように国を跨がずとも日常の全ての人と接する時にそれは言えること。

 

◾︎俺にとっての旅やチャレンジ、出会いとは…

それは"自分が何者か"を知るための手段だった。それが分かったこと自体が俺が何者かを知ることに繋がった。

自分が何者かを知ることが何で大切なのか?

これからさらに掘り下げていきたい。

 

 意味づけたものが現実、行動こそ真実

やってみた先にこんなことを感じる。

 

そう自分が意味付ければもうそうなんだと。

 

心で決めて、頭で意味付ける。

 

「やるの選択からの意味付け。」

今ほどそれを証明できる時はない。

今、率直に感じてるものが多分俺の本質。

これを書いてるのはなぜ?

日本に帰ってこの経験を語って書いて、

その上に生きて強くなった自分のイメージができてるから。

初日のネットも使えず道も分からずマジでやばいと思ってクソびびりながら残したメモ。

 

4日間終えて、全くその通りの旅になった。

 

意味付けたものが現実、行動こそ真実。

 

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よー、そこの若いの

 

 

 

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 人生初のライブ

「何や、このおっさん…。

          この歌…クセ強すぎるやろ…(笑)」

 

数年前になると思う。

始めて聴いたとき、正直そう思った。

だけど聴いていく内に、

思わず笑えるくらい共感できる詞と

分かりやすく半端じゃない熱量に惹き込まれていった。

 

とにかく一度、生で聴いてみたかった。

そして従姉妹の結婚式による地元への帰省がてら

人生初となるライブに行ってきた。

 

 ◆目次

 

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伝えようとしているというより…

竹原ピストル

日本全国弾き語りツアー岡山公演。

倉敷芸文館の大きなホールは満員だった。

真っ暗のホールの壇上には

マイクとギターとハーモニカだけが置かれていて、

そこにぽつんとスポットライトが当たっている。

運良く取れた席は1階2列目の20番。

ほぼ最前列のど真ん中。

すぐ目の前にいた。

"これぞ魂の叫び"といった歌声とは対照的に

穏やかなトークで常に会場を和ませる。

度々拍手が起こる。

 だけど、歌い始める瞬間、目つきが変わる。

歌い始める時、会場の空気を変える。

一度だけその瞬間に

「ここだっ。」と小さく呟いてギターを鳴らし始めた。

まるで会場の空気が見えるかのようだった。

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だけど会場の空気を見ているのではなかった。

 

そう感じたのは曲の終わる瞬間。

ギターの音を切る時。

肩をすくめて、膝を曲げながら、

必ず同じ場所を見つめている。

それがどこかは分からない。

ギターのヘッドかその奥の方をそっと見つめながら、

そっと音を切る。

毎回必ず。

 そうやって

穏やかな空気感を切るような歌い出しと

毎回決まった歌い終わりが繰り返される。

そして俺が心を動かされたのは、

まさしくその間にあるものだった。

一言で言うと「曲」なんだけど、

「声」であり、「言葉」でもある。

それは腹に響く言葉だった。

 マイクか譜面の方を向いているんだろうけど

何せがっつり正面手前に座ってるから

目が合っているようにさえ思えた。

こんな感じで…

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何かを伝えようとしている…

というより、

 

死に物狂いで表現している

 

きっと俺はその「姿」に心動かされていた。

………

「表現」と「一致」

 何をどう伝えるかは大切。

伝え方にはたくさんのスキルがある。

 例えば初めに聴衆や相手が

「はい。」と答える質問を繰り返すことで

相手が話を納得し易くすることを

「イエスセット」っていうらしい。

これ自体、何ら悪いことじゃない。

だけど決して伝えるための本質ではないと思う。

相手が自分を前にした時、

 自分が相手にどんな「姿」に映っているか。

 人に何かを伝えたい。

(というより伝えなければならない…)

その相手は

チームメイトか…

初対面の人か…

一対一か…

大勢を前にしてか…

ミーティングの場か…

座談やほんの一瞬の挨拶か…

何れにせよ相手に映る自分の姿は自分じゃ選べない。

ただ、人に映る自分の姿を創っているのは他でもなく自分。

"何かを伝える"のではない。

"表現"する。

それは、

自分が思っていること、

自分の行動

自分の言葉

こいつらを一致させるということ。

 スポーツでいう

「心技体」

: 心と技術と身体をそれぞれ磨くこと。

➡︎価値観言葉(話し方)行動それぞれ磨く。

ではなくて

「気剣体」

: 剣道用語で心と剣と体(姿勢)が全て揃った時にだけその突きは有効となること。

➡︎価値観言葉(話し方)行動一致させる。

何かを伝えるためにはこれこそが大切で

「何を?」に良い悪いも正解も間違いもない。

それは受け取る人が決めることだから。

 俺がこうやって文字に起こすこともこの一致のため。

要は、思ってること、言ってること、やってることが同じかどうか。

それは自分のためでもあり、人に伝わることに繋がる

それが一瞬か、または最後になのかは分からないけど、

自分が分かっていれば良い。

それを信じてやれば良い。

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鳴り止まないアンコールの後…

「皆さんどうか分からないですけど…(笑)

僕、明日明後日休みなんでもうちょい歌わせてくださいぃ!!」

会場はどっと湧いた。

その後数曲歌い上げライブは終わった。

「ありがとうございました‼︎」

「おかげさまで…」

と繰り返し、何度も頭を下げながらステージの奥に去っていった。

俺は一人、

湧き上がる胸の熱さを

グッと握った真っ赤な財布に吸わせた。

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本当に凄い人が何かを話す時、

実にシンプルな言葉しか使わない。

そして絶妙な 例え を使う。

どんなに難しくて複雑なことでも

それで十分伝わる。

 それは信じているもの、言葉、行動が一致していて、

絶妙な例えができるのは、

それだけの場数を踏んできたから。

 

…俺は本当にまだまだだ。

 

日本のミュージックシーンのてっぺん!を目指し、

これでもか!ってくらいの魂や想いを乗っけて、

全国を駆けずり回って歌う。

 

それが竹原ピストル

 

ここの若いのにはバチっと伝わりましたよ。

 

どうしても残しておきたい最高の時間だった。

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                                                    2018年 11月