Shuya Okazaki / Blog✔︎

1997年 岡山県 岡山市生まれ___ | I trust my process /Okayama/Niigata/Tokyo&Kamakura✓

「鱗」

 

ただの能書き垂れの自分を変え、結果 で示す。

残り1年と半年の大学サッカー、

 "トップに戻って試合に出て勝つこと"

 

それが示したいことの全て。

 

それだけ。

 

その覚悟。

 

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 アウトプットという名を借りて、

経験、出会い、本から学んだと思う度に

自分なりにそれを言語化し人に晒してきた。

またその事でさらに自分の中に

落とし込もうとしてきた。

そうやって自分というものを確立させてきた。

ただこれまでのそれは

ただの能書きに過ぎなかった。

なのに今もその真っ最中。

大きな自己矛盾の中にいる。

「割り切りとは魂の弱さである。」

                                     亀井勝一郎

その言葉に対して

ただ強い魂で在りたいと思った。

だからそれでもやっぱり

こうして文字に起こすことにした。

 

「挑戦」

 

その言葉を知ったのはつい最近のことらしい。

 散々にこれまで使ってきた言葉の

一つ一つが今はとても遠くに感じる。

 

今の時代について

「言葉の定義そのものを見つめ直す時代」

                                               

つまり本当にその言葉の意味はそうなのか?

と問う時代。

だとすれば今の俺は

 

「お前なんぼのもんや?

     俺は本当にその言葉の通りの人間か?」

 

…と自分のこれまで吐いた言葉、

そして今後吐く言葉と

自分の本当の姿とを

天秤にかけて、向き合うべき時期。

いや、その習慣を身につけるべき時だと思う。

 

 

 自分自身これまで、

自分のブレない基準をもって、

ビジョンや考えを言葉にすることで

自分の在り方を定めてきたつもりだった。

だけどある人に自分の本当の姿を見せられた。

それは

 

実はめちゃくちゃ周りの目を気にしてる自分の姿。

 

「いろいろ語ってるけど何か中身がない。

                              かっこよくないこいつ。」

どこに行っても、何を言っても、

その都度何をアウトプットしても、

いつもどこかで誰かにそう言われている気がした。

正直、

俺自身、誰よりもそう感じていた。

 

なぜか?

 

サッカーで何の結果も出せていないから。

 

 

真正面にある壁を越えられてないままだから。

 

ちょうど1,000日前新潟に行くと決めた。

(2015.9.1〜2018.5.28)

そして新潟に来て2年と3ヶ月。

高校の恩師の

「"二兎追うものは一兎をも得ず"

                         …違う。 三兎追え。」

この言葉の下、

選手としての練習や試合に加え、

自分のキャリアを見据えて

インターンや留学をした。

出会いや学び、いろんな刺激を追い続けた。

だけど1番始めに追った一兎目を

逃したままだった。

これだけは言いたい。

見失ってた訳じゃない。諦めた訳でもない。

いつだって自分の基準は持ち続けてきた。

 

ただ、結果が全て。

 

だから周りからそう思われてもそれは当然のこと。

出会いや学びの中にはないのかもしれない、

勝負の世界。サッカーには勝ち負けがある。

試合に勝つか、負けるか。

評価されるか、されないか。

試合に出るか、出られないか。

必ずそこに勝ちと負けがあって、

 小・中はベンチ。

学芸での高校時代も

サッカーでチームを引っ張れたか、否だった。

本当に全て仲間が築き上げたもの。

大学入って2年3ヶ月。

公式戦の出場はたった8試合。23失点。

トップから落ちて、Bチームでもメンバー外。

 チームの変革どころか、

誰1人の心にも想いを響かせられない。

 

そうやって負け続けたままだから。

 

現実は一つ。考え方は二つ

俺はあまりに考え方を追い過ぎた。

惹かれた場所、出会う人、本の中に。

目の前のそのたった一つの現実を直視する。

 

それをせずして

いくら解釈を変えても、

いくら考え方を変えても、

本を何百冊読んでも、

何をアウトプットしても、

意味がない。

結局 結果という

次に引き寄せる現実を変えられないなら

何の意味もない。

正面にある壁の前では立ち尽くしたままの自分。

何も変えられていない。

今の俺の本当の姿はそれ以外何でもない。

 

 

 1ヶ月前、

その人は出会ったばかりの俺の

自分を覆う鱗のような言葉を並べた話を

6時間、聞きながら、

その奥にある本当の姿を

じっーと見つめていたんだと思う。

 

その人はこう教えてくれた。

"他人は自分"だと。

目の前の相手、

周囲の目、

チームの現状…

それは全て自分を写す鏡でしかない。

そして自らの言葉はブーメランのように自分に返ってくるものだと。

 

「お前鱗まみれじゃん。

       男として全然かっこよくねぇ。」

 

 俺を覆ってきた鱗の裏側をグサ…グサ…と

問うように刺し続けられている感覚。

 

「その鱗 全部剥ぐには

     その壁に正面から挑戦するしかねぇよ。

                       突破したらその時帰ってこい。」

 

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 本当にかっこいい大人。男。

高い視座で志を持ち、

堂々としてて、強い。

故に敵は多い。

だけど自分にとって本当に大切なものを

守っている。

 

だから、

あの葬儀の光景は忘れられない。

何百人もの人が祖父の写真を見上げる顔。

あの人はどんな生き方をしたんだろう。

 

遠い故郷のたった1人の兄弟。

いつどこにいても なぜか強く俺を守ってる。

 

Keisuke Honda 

誰に何を言われようと、

「だから何だ。」と

あれだけの視座で未来を見つめ、今を闘う男

−プロフェッショナルとは生き様だ− と、

俺にはそう聞こえた。

 

人として、大人として、男として、

俺の求める姿は

この挑戦をもってしか手に入れられない。

 

トップで試合出て勝つこと。

 

ただそれしかない。

 

それが叶うまではこれも

ただの4,000字の能書きに過ぎない。

 

自分を変えられない人間に

何かを守ったり、変えることはできない。

他人と結果は鏡。
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竹原ピストル 「カウント10」

 

『全てを見尽くしたふりをして、

全てを聞き尽くしたふりをして、
走り方を忘れたふりをして、

叫び方を忘れたふりをして、
執着もできず、投げやりにも出来ず、
文字通り“適当”にうまいことやって、
茶化して無理に微笑んでみたところで、
そこに見えるのはただひたすらに瞼の裏っ側であり、明日じゃない、そんなのは明日じゃない。

ほんとは覚えているだろ?
ド派手に真っ向から立ち向かって、

しかし、
ド派手に真っ向からブッ倒されて、歪んで、霞んで、
欠けた視界の先にあるそれこそが、正真正銘、
挑み続けるべき明日だってことを。

さあ、もう一度立ち上がろうぜ。
そしてまた、どこまでも拳を伸ばそうぜ。

ダウン!から カウント1・2・3・4・5・6・7・8・9までは、哀しいかな、
神様の類に問答無用で数えられてしまうものなのかもしれない。
だけど、カウント10だけは、自分の諦めが数えるものだ。
ぼくはどんなに打ちのめされようとも、絶対にカウント10を数えない。

確かに誰に頼んで鳴らしてもらったゴングじゃない。
例えば季節のように、いつの間にか始まっていた戦いなのかもしれない。
しかも運やら縁やら才能やらといったふわついた、
しかし、絶対的に強大な事柄がどこまでも付き纏う、
ちっともフェアじゃない戦いなのかもしれない。
だからと言って、不貞腐れて、もがきもせず、あがきもせず、
例えば季節のように、
いつの間にか終わるのだけはまっぴらごめんなんだ。
誰かが言ってた。人生に勝ち負けなんてないんだと。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、人生との戦いにおける勝ち負け、二アリーイコール、
自分との戦いにおける勝ち負けはやっぱりあると思う。
ぼくは絶対に負けたくないから、どんなに打ちのめされようとも、
また立ち上がって、またどこまでも拳を伸ばす。
ちなみに話は変わらないようで変わりますが、
ぼくは“人生勝ち負けなんてないんだ”という人の人生に
心を動かされたことは、一度たりとも、無い。

ほんとは覚えているだろ?
ド派手に真っ向から立ち向かって、しかし、
ド派手に真っ向からブッ倒されて、歪んで、霞んで、
欠けた視界の先にあるそれこそが、正真正銘、
挑み続けるべき明日だってことを。

さあ、もう一度立ち上がろうぜ。
そしてまた、どこまでも拳を伸ばそうぜ。

ダウン!から カウント1・2・3・4・5・6・7・8・9までは、哀しいかな、
神様の類に問答無用で数えられてしまうものなのかもしれない。
だけど、カウント10だけは、自分の諦めが数えるものだ。
ぼくはどんなに打ちのめされようとも、絶対にカウント10を数えない。

カウント1・2・3・4・5・6・7・8・9
さあ、もう一度立ち上がろうぜ、もう一度、どこまでも拳を伸ばそうぜ。
カウント1・2・3・4・5・6・7・8・9
どんなに打ちのめされようとも、絶対にカウント10を数えるな。』

 

                                            2018.5.30 岡崎修也